にゃんこままの部屋

その時々に感じたことを、日記風につづります。

やっと「ソロモン流」観ました。

2008-04-13 22:13:16 | 映画  テレビ
「ソロモン流」やっと見終えました~
荒川さんと大ちゃんの仲が良いこと^^
「キャンディマン」の振り付けしてる大ちゃんキュート~
大ちゃんの中に女の子が見えましたぁ

荒川さんと大ちゃんの空間にはだれも入り込めない感じです☆
ずっと一緒に練習してきたから・・・

「僕らの時代」で大ちゃんが言っていました。
「結婚する人は、ずっと家で待ってくれてるような人はだめ・・・
何かをしている人じゃないと。」

荒川さん
「この人を幸せにしてあげたい。そう思える人と結婚したい。
私はつくしたいんです。」
以前言っていました。

荒川さんは、歴代最高の記録を打ち立てながら、
大きな大会(先だっての世界選手権)でいまいち実力を
発揮できなかった高橋選手に、暖かいエールを贈っています。
「これが五輪でなくてよかった。この失敗から学ぶことは多い。
成功よりも失敗から得られるものはずっと大きい。
数多くの失敗は、一つの大きな成功のためにあるものだと思って。
私がそうでしたから。」

荒川さんの励ましやアドバイスは
きっと高橋選手の支えとなっているはずです。

トリノ五輪で金メダルを獲得した荒川さんのほうが、先にプロになって
一歩前を歩いているけれど、
大阪でのスターズ・オン・アイスでは振り付けを大ちゃんから教わり
グルメの案内も大ちゃんにエスコートしてもらって
仲が良い姉弟のよう・・・

荒川さんは一人っ子だけれどお姉さんタイプ
大ちゃんは末っ子

お互いの才能を認め合いながらの会話、雑談。
ふたりくっついて楽しくたこやきを作り食べる姿は本当にほほえましいです^^

ううん・・・
姉弟が将来それ以上の関係になって
大ちゃんのかわいいキャンデイマン見てたら
大ちゃん似のかわいい女の子も良いかな^^
静香さんにそっくりのすらりと長身の端正な男子もよいかな^^・・・と

男の子は大学4年生でオリンピックチャンピョンになって
それからプロとして大活躍
女の子は、凄い才能の持ち主なんだけれど、甘えん坊ちゃんで
家族の励ましと応援で、五輪で歴代最高記録を打ち立てて金メダル!

なんと家族揃って、オリンピックの金メダリスト!!
もちろん史上初です~

わが娘を抱きしめ喜ぶ大ちゃんを見て
荒川さん
「よかった・・この人を幸せにしてあげれて~」
そうほほえむ荒川さんも世界一幸せな人になっていました。

梅酒を飲みながら見たビデオで、ひとり勝手に空想にふけってしまいました・・・
(ファンの人ごめんなさいね・・お酒のせいで夢みたようです~)

今晩の「うるぐす」も録画しました。


荒川さん公式サイトから・・・お昼寝する荒川さんと赤ちゃん犬ローザちゃん・・・ほほえましい^^









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明日ありと 思う心の

2008-04-13 17:10:51 | 日常 雑感







明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは   親鸞


親鸞聖人は九歳で出家をされました。
聖人は貴族の出身でしたが、下流貴族で、父母を亡くし生活にも困窮していたといわれています。
出家の動機は今では想像するほかありませんが、その時のエピソードとして、こんな話しが伝えられています。
 聖人が得度(僧侶になること)するために青蓮院の慈円和尚のもとを訪れた時、すでに夜は更けていました。
得度には時間もかかりますし、たくさんのお弟子を集めなければなりません。
「もう遅いから明日にしよう」といった慈円和尚に、
わずか9歳だった親鸞聖人はこの和歌を詠んで答えたといいます。


「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。
同じように、私の命もいつなくなってしまうかわかりません。
どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」
という聖人のそのことばに心打たれ、慈円和尚はすぐに得度の手配をされたということです。








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さくら さくら

2008-04-13 16:43:42 | 音楽 美術






さくら さくら

やよいの空は

見わたす限り

かすみか雲か

匂いぞ出ずる

いざや いざや

見にゆかん



日本の伝統曲であり作者不詳の日本古謡。
日本を象徴する歌として広く知られています。
元は江戸時代にあった琴の唄(江戸時代「咲いた桜」という筝(こと)の手ほどき曲であった)を
1888年(明治21年)音楽取調掛(東京音楽学校)が「筝曲集」を編纂の際、編詞・編曲されたものとされています。
上は当時の歌詞です。





さくら さくら

野山も里も

見わたす限り

かすみか雲か

朝日ににおう

さくら さくら

花ざかり



その後、1941年(昭和16年)「ウタノホン(下)」に掲載されるに当たって歌詞の一部が改められ、
現在では主に上の歌詞が音楽の教科書に紹介されています。

その優美なメロディから後世はさまざまな編曲がされており、
宮城道雄の「さくら変奏曲」は特に有名なほか
海外ではプッチーニの「蝶々夫人」にまで登場しています。



(歌詞「朝日に匂う」は、
本居宣長の「敷島の 大和心を人とはば 朝日ににほふ山桜花」から。)



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願わくは 花のもとにて・・・

2008-04-13 15:05:01 | 日常 雑感






  願わくは 花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ  西行法師

有名な西行法師の晩年の代表作です。
 今年の旧暦如月の望月は、3月22日でした。まだそのころはこちらでは桜は
咲いていませんでした。
西行が亡くなった1190年旧暦2月16日は、新暦だと3月30日にあたるそうです。
しかも大阪府富田林だそうですから、桜が満開だったに違いありません。
ちなみに、如月の望月のころとは旧暦2月15日あたりです。

西行法師について調べてみました。


“本名佐藤義清(のりきよ)。

生命を深く見つめ、花や月をこよなく愛した平安末期の大歌人。
『新古今和歌集』には最多の94首が入選している。
宮廷を舞台に活躍した歌人ではなく、山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだ。

祖先が藤原鎌足という裕福な武士の家系に生まれ、幼い頃に亡くなった父の後を継ぎ17歳で兵衛尉(ひょうえのじょう、皇室の警護兵)となる。
西行は御所の北側を警護する、
院直属の名誉ある精鋭部隊「北面の武士」(一般の武士と違って官位があった)に選ばれ、同僚には彼と同い年の平清盛がいた。
北面生活では歌会が頻繁に催され、そこで西行の歌は高く評価された。
武士としても実力は一流で、疾走する馬上から的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」の達人だった。
さらには、鞠(まり)を落とさずに蹴り続ける、公家&武士社会を代表するスポーツ「蹴鞠(けまり)」の名手でもあった。
「北面」の採用にはルックスも重視されており、西行は容姿端麗だったと伝えられている。

武勇に秀で歌をよくした西行の名は、政界の中央まで聞こえていた。
文武両道で美形。華やかな未来は約束されていた。
しかし、西行は「北面」というエリート・コースを捨て、1140年、22歳の若さで出家する。
出家の理由は複数あって、
(1)仏に救済を求める心の強まり
(2)急死した友人から人生の無常を悟った
(3)皇位継承をめぐる政争への失望
(4)自身の性格のもろさを克服したい
(5)“申すも恐れある、さる高貴な女性”との失恋。彼は歌会などを通して仲を深めた鳥羽院の妃・待賢門院(崇徳天皇の母)と一夜の契りを交わしたが、「逢い続ければ人の噂にのぼります」とフラレた--等々、
こうした様々な感情が絡み合った結果、妻子と別れて仏道に入ったようだ。阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあることから「西行」を法号とした。”

           ー「西行法師の生涯」より



 NHK大河ドラマ「新平家物語」で若き日の平清盛の巻に
少しだけ出番があったのを覚えています。
出家した歳は22歳という若さ。
22歳といえば、今で言えば大学を出てこれから社会へ羽ばたこうという年齢です。

“西行は長く煩悩に苦しんでおり、いわゆる「聖人」じゃなかった。彼は出家後の迷いや心の弱さを素直に歌に込めていく。”

追いつめられての若すぎる年齢での出家は、凡人の私にはわかりませんが
なにか痛々しく思えてなりません。

せめて、満開の桜の花の下で本人の希望するところの死を迎えられたのが救いのような
気がします。



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